伊藤沙莉の兄・伊藤俊介の出身大学・高校はどこなの?実力派漫才師の学歴は一体どれほど?

オズワルドの伊藤俊介さんは、

女優の伊藤沙莉さんのとしても知られてます。

伊藤沙莉」ではなく、

漫才コンビ「オズワルドのツッコミ」という方が馴染むほどです。

伊藤沙莉さんの:伊藤俊介さんの大学・高校はどこでしょうか。

大学・高校でのエピソードも紹介します。

伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]の出身大学

伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]の出身大学・出身高校の話をします。

まずは、伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]の出身大学から。

伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]の出身大学は「駒澤大学文学部国文学科」です。

東京都世田谷区にあり、東急田園都市線の駅名にもなっています。

 

伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]は、教職につくため

「駒澤大学文学部国文学科」に進学しています。

後ほど書くことになりますが、

高校時代から続けていたサッカーコーチの経験もあり、

大学卒業後も、子どもたちと関わりたかったのでしょう。

 

しかし、伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]は教職を断念しています。

自身が教職に向いていないと悟ってしまい、違う道の模索を始めます。

そこで、2011年[大学4年時]にNSC東京港へ入校、お笑いを志すことになります。

 

伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]の大学でのエピソードで、

ふたつ、気になるものがありました。

伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]の大学でのエピソード①卒業論文

伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]の大学でのエピソードに、

「卒業論文の書き方」があります。

伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]は、大の機械音痴であり、

新しいものについていけない、と自認しています。

なので、大学の卒業論文をPCで書いていません。

 

では、大学の卒業論文を何で書いたのか。

それは「ガラケー」です。文字数は実に20000文字。

相当苦戦したと考えられますが、PCが扱えないなら仕方がありません。

気合で卒業論文を書き、無事駒澤大学を卒業したのでした。

伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]の大学でのエピソード②父親

伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]の大学でのエピソードに、

伊藤俊介さんの父親の絡みがあります。

伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]の父親は、

伊藤俊介が小学校時に母親と離婚、姿を消してしまいました。

そんな父から突然電話がかかってきます。

 

知らない電話番号に不審に思ったのの出てみると

「追われている。金と服を持ってきてくれ」という、

半ば息子を捨てた人間が言い出すべきことではない、

なんとも図々しい連絡を入れてきたのです。

 

とは言っても、父親は父親。

伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]は連絡元へと向かいます。

そこで見たのは、改札から出られない父親の姿。

図々しい父親に怒りが湧いてきそうものなのですが、

伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]はその姿があまりに滑稽で、笑えてきたそうです。

 

次は高校の話をします。

伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]の出身高校

伊藤俊介さんの[千葉県立若松高校]で県立の中堅校になります。

この高校時代に、地元の少年サッカークラブ「北貝塚フットボールクラブ」で、

大学3年生までの6年間、コーチを務めていました。

教職を諦めた時期と同じなので、コーチをしている中、

なにかがあったのかもかも知れません。

 

コーチになった理由として、こう話しています。
 ・人が好き
 ・多感な時期の子供と関わるのは良い経験になると考えたから
  こどもとの何気ない会話が、大人とは違う新鮮なものだった

 

教職を目指す理由としても、完全に一致します。

そんな心持だった伊藤俊介さんがなぜ教職を断念してしまったのか。

よほど大きなことが起きたのでしょう。

「北貝塚フットボールクラブ」は、強いサッカークラブ。

伊藤俊介さんのコーチぶりは、優秀だったに違いありません。

まとめ

伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]の出身大学・出身高校
  • 伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]の出身大学は「駒澤大学文学部国文学科」
  • 伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]は、教職になるために大学に入ったが断念、NSCに入りお笑いを志す
  • 伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]には、大学時代でのエピソードに2つ興味深いものがある
  • 伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]の出身高校は、千葉県立若松高校
  • 伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]は、高校から大学までの6年間「北貝塚フットボールクラブ」でコーチをしていた
  • 伊藤俊介さん[伊藤沙莉の兄]がコーチをしていた理由が、直接教職を目指した理由にもなっていた

伊藤俊介さんは、教職に進んだら全く別の世界にいたことでしょう。

奇しくも自身の限界を感じたからこそ、現在の活躍があるのです。

挫折も悪いことではないことがわかります。

ただ、切り替えるには相当の胆力が必要だったと思います。

その胆力こそが、いまのオズワルドでの活躍に活きていると考えずにはいられません。