芦田愛菜の明言「「信じる」とはどういう事か?」とは何?芦田愛菜の発言と哲学を分析します

これまでの発言・キャリアから才女と言われる芦田愛菜さん。

かつて「信じる事」について名言を放ってます。

「「信じる事」についての名言」が的を射た、深い言葉になっていたのです。

芦田愛菜さんの「信じる事についての名言」は何でしょうか。

芦田愛菜さんの名言を考えます。

芦田愛菜さんの放った「信じる事についての名言」とは

では、芦田愛菜さんの話した「信じることについての名言」と、

その信じることについての名言について考えてみたいと思います。

まずは、「信じることについての名言」が話された場面から紹介します。

 

「信じることについての名言」が話された場面は、

2020年9月3日の話です。

出演映画「星の子」の完成報告イベントでのことです。

 

この「星の子」と言う映画は「信じる」が大きなテーマになっています。

そして、この「信じる」をテーマにしていたことから、

芦田愛菜さんが「信じること」とはどんなことかを述べているのです。

そして、その信じることについて述べた内容が、「名言」と言われています。

 

芦田愛菜さんが信じるについて話した名言は以下になります。

この発言に、星の子で共演した永瀬正敏さん、監督の大森立嗣さんも驚愕。

「難しすぎる」「これ以上の回答はない」と、

芦田愛菜さんの人格者ぶりに、舌を巻いていました。

 

では。

この発言が、なぜ「信じることについての名言」とされるのでしょうか。

私なりに考えてみようと思います。

芦田愛菜さんが話した「信じることについての名言」の意味

では、芦田愛菜さんの「信じることについての名言」が何を示しているのか、

私なりに考え、名言とされる所以を考えてみたいと思います。

 

私が、この芦田愛菜さんの「信じることについての名言」とされることを読んだ時、

「信じることは自分次第、他人がどうあろうと関係のない話」だと言っていると感じました。

 

「裏切られた」というと、相手が悪人のように感じられますが、

なぜ相手が裏切ったかの理由はわからないし、

もしかしたら傍から見れば裏切った理由が妥当だったり。

もしくは、相手の「裏切りに繋がった部分」が見えていたら、

繋ぎ止められていた、信じ続けることが出来た。

 

「全ての行動の責任は自分にある」

相手のせいにせず、自分が進む道を決められるのか。

人間としての根幹が問われる部分である。

そういう意味であると感じたのです。

 

 

 

この「信じることについての名言」は、

これまでの芦田愛菜さんの人生経験から生まれた言葉であり、

どれだけ人間として成熟したのかを示しているのです。

そして、この「信じることについての名言」からは、

どの人間からも学べる部分があります。

 

ただ、「凡人の私」から言わせてもらうと、

こういう事が言えるのは「強い人間」であって、

こう思って色々と行動できる人は皆無なのでは、です。

 

人間は弱い生き物です。

誘惑に弱く、欲望にまみれ、他罰的になり、人を平気で傷つける。

そんな「ネガティブな部分」を知らなかった部分が見えただけ、と

自分の中に収めることなど出来やしない。

 

性根から腐った人間はいて、そんな人間の裏切りすらも、

「自分が見えなかった部分が見えただけ」と割り切れるわけもないですし、

割り切るべきではないのです。

相手は罰せられるべきであり、恨まれて当然なのです。

 

聖人君子は大いに結構ですが、

芦田愛菜さんの、この「信じることについて」の話を

「名言」と手放しにして称賛することは、私には少なくとも出来ません。

人間は悪い土壌で育てば、悪く染まるものです。

そして、現代はそんな悪い土壌に満ち溢れているのです。

まとめ

芦田愛菜さんの話した「信じることについての名言」について
  • 芦田愛菜さんの「信じることについて名言」は、2020年9月「星の子完成報告イベント」にて生まれた
  • 芦田愛菜さんの「信じることについて名言」に共演者は驚愕した。
  • 芦田愛菜さんの「信じることについて名言」は、全てが自分次第・相手は関係ないことを示している
  • 芦田愛菜さんの「信じることについて名言」は理想論、世の中には弱い人間が溢れ、理屈が通じない悪にあふれている

私は、こういう名言や格言をあまり好きになれません。

なぜなら、名言や格言を残す人間が優れた人間であり、

凡人に理解出来ない、到達できない人間だからです。

 

凡人にこの名言・格言を実行することは大抵は無理です。

そんな無理を優位な立場の人間が振りかざし、

凡人の弱い立場の人間を責めに責めてくるからです。

いわば「パワハラに使われる道具」になるのです。

 

かつての経験から、優れた人間の言葉が嫌いになりました。

その人間の言葉に、私は大いに傷つけられたのです。

「そんなきもち、わかるでしょう?」