平井堅さんにはゲイの噂がついて回ります
彼氏と思われる人と一緒にいる写真も出ています
もちろん、その人が平井堅さんに彼氏かもわかりません
さらに、何と平井堅さんの彼氏についての情報がSNSにありました。
平井堅さんの彼氏が富山にいて、富山をよく訪れているそうです。
平井堅さんを富山で見かけたという話
ネット上に上がっている記事には、平井堅さんと富山を結びつけるものは上がってきません。
ただ、ツイッターのコメントで富山に住んでいる人が
“あの外国人みたいな人、本当に平井堅だったんだ”と言っており、
平井堅さんがよく富山を訪れている可能性があることがわかりました。
しかし、別に平井堅さんが富山を含めて旅行に行っていても
ライブツアーで回っていても何ら不思議はありません。
特別書き立てるものではないですし、
ここでわざわざ平井堅さんが富山を訪れていることに
触れることはありません。
しかし、そのコメントのレスにこのようなものがあります。
平井堅さんの彼氏が富山にいて、上市という富山の具体的な地名まで出ているのです。
SNSの情報なので、信憑性はほぼないと思うのですが、
なぜそんな、富山に平井堅さんの彼氏がいて、具体的な富山の地名まで出るのか、
非常に気になります。
とは言え、平井堅さんの彼氏が富山にいるという情報は
私が見つけたツイートのみでした。
そのツイートでは、“ツイートで平井堅の彼氏が富山の上市にいる”と
他のツイートにも、平井堅の彼氏が富山にいる、と書かれていたものがあったことがわかります。
もちろん、その他のツイートは見つけられず、確証は得られませんでした。
結局、平井堅さんの彼氏が富山にいる説は、ここで検証を終えざるを得ませんでした。
平井堅さんの彼氏が富山にいる説は、ほぼデマなのではないか、
と、私は考えています。具体的にその理由についての話をします。
平井堅さんの彼氏が富山にいつという情報の信憑性について
これについては、先程書いたとおり、ほぼないと言って間違いないでしょう。
そう考える理由をいくつか書いていくことにします。
まず、平井堅さんについて書いてある最近の記事に
平井堅の彼氏が富山にいるという情報が出てこないことです。
もし、平井堅さんの彼氏が富山にいる可能性があるのであれば、
最近に平井堅さんについて書かれた記事に
平井堅さんの彼氏が富山にいる、という内容が書かれていて然るべきです。
平井堅さんがゲイで、彼氏と思われると人とあっていることについては
多くの記事が取り上げているのにも関わらず、です。
ふたつめは、ツイッターの情報が唯一つしか残っていないところです。
もし、噂となるのであれば、複数の人がSNSで口にしていてもおかしくありません。
ただ、今回発掘できたツイッターは一つだけです。
もちろん、他にもSNSで平井堅さんの彼氏が富山について話をしていて
そのアカウントがなくなっている可能性もありますが、
一つ見つけられない、他のアカウントが全てなくなっているのは不自然です。
私が考えるのは、平井堅さんの彼氏が富山にいる、という話は
他で見た、と言っておきながら、ただその人が気まぐれで言った可能性です。
噂というのは、得てして、ふと撒かれた内容に
尾びれ背びれがついて広まっていくものです。
いままで、そういうものをいくつも見てきました。
この、平井堅さんの彼氏が富山にいる発言もまた
そのような部類の話であり、たまたま広がらなかった、と見るのが順当です。
このツイートをする人が、フォロワーの多い、インフルエンサーのような人なら
平井堅さんの彼氏が富山にいる説は、一般的に語られることになったかも知れません。
この二つの理由で、平井堅さんの彼氏が富山に一切はデマ、と判断します。
火のないところに煙は立たないとは言ったものの、
これは、火のないところにわざわざ煙を立てに来た、というのが妥当でしょう。
まとめ
平井堅さんの彼氏が富山にいる件について
・平井堅さんは富山をよく訪れているらしい
・平井堅さんが富山を訪れる理由は、富山に彼氏がいるから。具体的な地名まで示されている
・平井堅さんが富山に彼氏がいる情報はツイッターでのみ確認できる
・平井堅さんの富山の彼については、平井堅について書いてある記事にはなく、ツイッターでもひとつみるだけ
・上の理由から、平井堅さんの彼氏が富山にいる説はデマと考えられる
これは、一体どこから、どんな噂が生まれるかわからない例として挙げられます。
こういう人の気まぐれが変な噂を呼んで、噂を立てられた当人が迷惑を被るケースが
あるんだろうな、と思うとなんとも言えない気持ちになります。
不用意に根拠もないことを口にして、妙な話を噂にして盛り上げないでほしいものです。
この件については何も広がらなかったから良かったものの、
今流れている数多くの噂がこういうことから端を発している可能性があると思うと
どうにかならないか、と思わざるを得ません。