14歳からモデル活動をしている本田翼さん。
流石の見事なスタイルをしているのは言うまでもありません。
では、本田翼さんのスリーサイズ、カップ数はいくつなのでしょうか。
スリーサイズ、カップ数は公開されてるでしょうか。
本田翼さんのスリーサイズ、カップ数を調査です。
本田翼さんのスリーサイズ
本田翼さんのスリーサイズから調査を始めましょう。
ますは、公式で情報が出ているのかを確認しました。
所属事務所の公式ページと、かつてモデルを務めていたnon-noの
公式プロフィールには、スリーサイズは載っていませんでした。
一方で、数多くのブログで「本人が言っていました」として、
本田翼さんのスリーサイズを断定しているものも見かけました。
そこに書かれているスリーサイズは「84-62-88」でした。
これはなかなかに良いスリーサイズです。
本田翼さんのスタイルを考えればあり得る数値です。
しかし、引っ掛かるのは「本人が言っていました」と書いてあっても、
「どこで言ったのか」がまったく書かれていない所です。
これは、掲示板か何かで「本田翼がスリーサイズを言っていたよ」という情報を
何も考えず鵜呑みにして、正しい情報として垂れ流している可能性があります。
現に、このスリーサイズが信用できない理由として
「体重43キロ」だとも、本人が言っていたということがあります。
本田翼さんの身長は、所属事務所の公式ページから165センチとわかっています。
165センチに対し、体重が43キロでは痩せすぎて、
とてもじゃありませんが、スリーサイズが「84-62-88」などあり得ないのです。
となると、この「体重43キロ」と「スリーサイズが84-62-88」が
「本人が言っていた」とセットの情報になっている時点で、
このスリーサイズが眉唾ものでしかないことがわかるのです。
よって、このスリーサイズ「84-62-88」は誤報であり、
本田翼さんのスリーサイズは不明、と言うことになります。
有力な情報か、と思いきやまったく当てにならない情報でした。
残念でなりません。
スリーサイズは分からずじまいでした。
そんな中、バストのカップ数に話を移しましょう。
スリーサイズもわからないのに、カップ数は解るものなのでしょうか。
本田翼さんのカップ数
本田翼さんのスリーサイズの情報はあっても、誤報の可能性が極めて高い。
何とも言えないことになっています。
せめてカップ数の情報は、この記事を成り立たせるためほしい所です。
ここで、力を借りるのが「バストマイスター」と私が名付けた、
見た目だけでカップ数を推定できる人たちの情報を調べてみることにします。
私がネット上での、本田翼さんのカップ数の意見で最も多かったのは「Bカップ」でした。
現在、日本人30代女性のバストカップの平均はCカップというデータが出ています。
本田翼さんの場合、細身のスレンダー美人なので、
この「Bカップ」の見立ては正しい可能性が高いです。
一方で、実は隠れ巨乳で「Dカップが堅い」という意見もあります。
私はこの「隠れ巨乳」という概念がよくわからないので何とも言えませんが、
以前よりもバストの成長が見られる、
という意見とともに「隠れ巨乳」という言葉がついていました。
現存している水着姿を見ると本田翼さんのカップ数がBカップという意見が、
非常に近いように見えます。
ただ、この水着姿がいつのものかによって、
カップ数をDとする「隠れ巨乳派」の意見も一概に切り捨てられません。
結論としては「本田翼さんのカップ数はBという意見が妥当な一方、
Bカップよりも大きくなっているという意見も捨てきれない」
何とも歯切れの悪いものとなってしまいました。
公式からの発表がない以上、致し方がないことではありますが、
個人的にも、残念な結論となりました。
まとめ
- 本田翼さんのスリーサイズは、公式の情報はない
- 本田翼さんのスリーサイズは84-62-88と本人が言っていたという情報があるが、出元が不明
- 本田翼さんが言っていたとされるスリーサイズの情報は信憑性が低い
- 本田翼さんのバストのカップ数は、推定Bカップ
- 本田翼さんのバスとカップ数を「隠れ巨乳」として、Dカップ程度あるという声もある
本人が言っていた。
このフレーズの信憑性の低さを感じる記事になりました。
wikipediaであれば[どこで?][要出典]と書かれてしまいます。
現に、本田翼さんのスリーサイズの情報はwikipediaに載っていません。
証明するものがないからでしょう。
裏が取れないものを「本人が言っていた」と吹聴するのは、
言ったとされる当人には非常に迷惑です。
それこそ「××さんの悪口を言っていた」と流されれば、
評判は落ちますし、××さんとの関係も悪くなります。
「本人が言っていた」とあれば「〇〇で言っていた」と
しっかり、足のつく情報を流すべきです。
それが責任というものなのです。