2007年に藤原紀香さんは、陣内智則さんと結婚を神社で行っています。神社で見せった幸せそうな藤原紀香さんでしたが、わずか2年で陣内智則さんと離婚してしまうのです。縁結びや蘇りで有名な神社で結婚式を挙げたにも関わらす、2人は離婚。理由は、何だったのでしょう。
藤原紀香の生田神社への熱い思い!陣内智則には思い入れが感じられない?
2007年に世間を衝撃の渦に巻き込んだのが、藤原紀香さんと芸人の陣内智則さんとの結婚でした。
神社での挙式の後に、姿を見せた藤原紀香さんは十二単で陣内智則さんは束帯といういで立ちでしたから、まさに神社での挙式では平安時代を思わせるような煌びやかな印象を持っている方もいるのではないでしょうか。
藤原紀香さんと陣内智則さんが、結婚式を挙げた神社は、関西でも縁結びでも有名な生田神社です。
生田神社で結婚式を挙げたいと願っていたのは、藤原紀香さんといわれています。
陣内智則さん的には、番組で「お内裏様や!」とネタにするほどでしたから、生田神社に対してのそれほど思い入れはなかったのでしょう。
藤原紀香さんは、地元神戸にある由緒正しい生田神社で結婚式を挙げたいと、かなり強い気持ちだったことは確かです。
藤原紀香さんは、生田神社に何度も参拝しているといわれているくらいですから、地元という事もあり、スピリチュアル的なところを踏まえて結婚式にと考えていと考えられます。
生田神社の神様に藤原紀香は認められ、陣内智則にはバチが当たった!?
藤原紀香さんと陣内智則さんが、結婚式を挙げた生田神社は歴史的に見ても非常に古くから存在している神社なのです。
201年に稚日女尊(わかひるめのみこと)が現れて神社を建てなさいとお告げを出したと日本書紀に書かれています。
約1800年の歴史がある神社という事になるのです。
まして、稚日女尊(わかひるめのみこと)は天照大御神の幼少時の名前や妹ともいわれる神様が奉られています。
これを聞いただけでも、「お内裏様や~!」なんて言っていた陣内智則さんは、誰もがバチ当たりと思っていたことでしょう。
藤原紀香さんは、生田神社に対して相当な思い入れがあったことは、確かなようですから神様的にみてもOK!でも、陣内智則さんには、このバチ当たり目が!と思っていたのかもしれません。
結果的に陣内智則さんが、藤原紀香さんを裏切る形で浮気が発覚して離婚に至るわけですから、神様の怒りに触れたという事になるのでしょう。
生田神社の神様を敵に回した陣内智則!藤原紀香には愚行を止められなかった!?
2009年に陣内智則さんの浮気によって藤原紀香さんは、三行半を付けつけて結婚生活に終止符をうっています。
これには、生田神社の方々はビックリしたのではないでしょうか。
生田神社を全国区にしてくれた藤原紀香さんと陣内智則さんが離婚となると、縁結びと蘇りでご利益があるといわれているだけに、マイナスイメージを持たれてしまう事になるのです。
考えてみれば、生田神社に信仰心のある藤原紀香さんと、信仰心のかけらも感じられない陣内智則さんですから、さすがに生田神社の稚日女尊(わかひるめのみこと)もあきれてしまっていたのではないでしょうか。
日本には、天照大御神から小さいものにまで神様がいるほどの、神様の国ですから結婚式前に「お内裏様や~」なんてネタにしていた段階で、陣内智則さんはありとあらゆる神様に見放されたと考えた方が腑に落ちます。
藤原紀香さんと結婚できると思えば、軽々しくネタにできるものではないはずです。
藤原紀香さんとの結婚も、陣内智則さんには知名度アップ程度のことと考えていたのかもしれません。
まとめ
藤原紀香と陣内智則が結婚した神社は、日本書紀にも記載されている!?について紹介してきました。
・生田神社で結婚式を挙げた時の姿は、藤原紀香さんは十二単で陣内智則さんは束帯
・藤原紀香さんは、地元神戸にある由緒正しい生田神社で結婚式を挙げたい強い気持ちだった
・生田神社には稚日女尊(わかひるめのみこと)が祀られている
・陣内智則さんは「お内裏様や!」とネタにするほど、生田神社に対して思い入れはなかった
などがわかりました。
藤原紀香さんと結婚できただけでも、幸せ!と感じられなかったのが陣内智則さんなのでしょう。
愛情よりも知名度UPを優先させた感が、今でも感じられるほどです。
藤原紀香さんは、今では梨園の妻として最高の評価を得ているくらいですから、これだけの女性に対して、見る目が全くなかったとしか言いようがありません。
今さらですが、藤原紀香さん的には陣内智則さんとの結婚は黒歴史と感じているかもしれませんね。